暗闇に光を。

サラリーマンを中心に、日本人について知るために、ブログを書いています。

日本の先祖崇拝 Japanese ancestor worships

世界の先祖崇拝について研究している方が、日本の先祖崇拝についても知りたいそうなので、私も調べてみました。

 

実家では、先祖崇拝をする習慣はなかったので、私はあまり詳しくありません。

なので、まず頭に思い浮かんだ「沖縄のエイサー」と、「京都の祇園祭」についてネットで簡単に調べてみました。

 

 

1、エイサー

2016年

沖縄うるま市エイサー祭りの映像。

綺麗に編集されていて、とても分かりやすい。

www.youtube.com

www.jtrip.co.jp

 

エイサーは旧盆の最終日(旧暦7月15日)に、戻って来た祖先の霊を送り出す念仏踊りをしたことが発祥とされています。先祖を大切に思う沖縄の人たちにとって大切な行事として各地域の青年会を主体に、本番何ヶ月も前から練習を重ねているそうです。

 

*旧盆とは、旧暦7月13日から15日の三日間、各家にあの世から祖先が帰って来て、子孫や家族と共に過ごすという祖先供養の行事のことです。

 

13日:ウンケー(精霊迎え)の日。祖先をあの世から迎える。

14日:ナカビ。祖先の霊は仏壇のある家で過ごす。

15日:ウークイ(精霊送り)。祖先をあの世に送る。

 

その旧盆に行われる祖先送りの踊りがエイサーです。

 

 

しかし、エイサーと言っても地域毎に様々な種類があります。娯楽行事として行われた所もあれば、祖先供養として特別な扱いを受けてきた所もあります。それが、1950年代に県内各地でエイサーコンクールが行われるようになり、エイサー祭りが各地で行われるようになりました。

 

現在では、学校の運動会やイベントにも取り入れたりされ、芸能としてのエイサーは県外のみならず、海外にまで広がっています。

 

www.jtrip.co.jp

 

 

2. 祇園祭

 

京都市、八坂神社の祭りで、7月の1日から一ヶ月間続きます。千年以上の歴史があります。

www.youtube.com

 

平安時代、869年、京都で疫病が流行した時、それは怨霊の祟りであるという信仰のもと、怨霊の怒りを神に鎮めてもらうために、神泉苑にスサノヲノミコトなどの神を迎えた神輿3基と66本の矛を立てて御霊会を行ったことが始まりです。

 

*スサノヲノミコトは、日本神話において、天照大神の弟とされている神です。

*当時は、災いや疫病は不慮の死を遂げた人の魂が怨霊になると考えられていました。

 

室町時代になると、商工業者が自治組織をつくるようになり、各町ごとに山鉾を作って、街中を巡回するようになりました。

 

 

 現在では、祇園祭は、単に神社や氏子たちだけのものではなく、京都市全体の祭りとして行われています。

 

1000年以上の伝統を誇る祇園祭は、再三中断、再興を繰り返しながら、京都の歴史とともに歩んできました。

 

 

*さらに詳しく知りたい方は、以下のサイトに分かりやすくまとめられているので、ご覧になられたら良いかと思います。

ii-nippon.net

 

祇園祭とは | 祇園祭2017 GION-MATSURI by京都で遊ぼう

 

祇園祭 祇園祭について | 京都市観光協会

 

 

3. 神道による死後の世界

 

神道では、人間は死後、魂は死後の世界に行き、そこで神となって子孫を見守るという考え方をしているそうです。

 

そして、現世の子孫が熱心に祀ることで先祖は死後の世界で楽しく暮らすことが出来、また神としての力を増し、現世の子孫をさらに護ることになります。これは、日本の仏式の先祖供養と同じ考え方です。

 

日本人の思想は、「不幸な死に方をした御霊は通常より手厚く祀らなくてはならない」というものです。これは、そのような御霊が祀られないと怨霊となって現世に災いを及ぼすという信仰と、あの世では幸せに暮らしてほしいという人間の素直な気持ちの表れでもあります。

 

特に、靖国神社には、明治維新の殉教者と明治以降に戦死した御霊が祀られていて(その数は約246万6千柱です)、戦没者については、より手厚い祀りが必要だと考えられています。そのため、亡くなられた方を「追悼」し、国のために健闘したことを「顕彰」し、御霊が安らかに鎮まるように「慰霊」をしなくてはなりません。(靖国神社問題を分かりやすく整理してみるから抜粋しました)

 

 

私も、昔は、死んだ人が私とともにいて守ってくれてると考えているときがありました。

 

また、死んだ人が霊となって、人に災いをもたらすのだと考え、夜遅くに終わる塾の帰り道、後ろを振り向かずに、ひたすら走って、家に帰っていた時期もありました。

 

先祖崇拝や日本神話が土台にある某アニメ映画を見るときも、心はその世界観に絶えず魅了され続けました。

 

あらゆるものを通じて、日本の文化・思想・信仰に少しずつ染まってきた結果、すっかり”日本人”の私が出来上がったのだな、と思います。そして、これが偽りだと分かったとしても、私はこれを信じ続けるのではないか、とも思います。

 

 

なぜなら、他に「これだ」と思えるものがない限り、心に最もすっとはまるのはこの世界観だからです。そして、それが真実かどうかはもはやどうでも良いのです。

 

 

        

 

  「みんなでやれば恐くない」

 

"死"という未知の世界から”日本人”みんなで逃げているような気がしたりもします。