羊、吠える
大学生のとき、図書館でMr. childrenの「羊、吠える」を初めて聴いた。
自分の心を代弁しているように感じた。そのときから、音楽の歌詞に興味を持ち始めた。
あまりに多くの期待を、もう自分に寄せていない。
ときどき、誉めてくれる人に出会う、それで十分。
服を来た犬は、鏡の前、何を思うのだろうか。
ここ2、3、日はそんな事考えてる。
狼の血筋じゃないから、いっそ羊の声で吠える。
ばかみたいと笑う君に、気付かないふりしながら。
自分に失望していた。自分は狼ではなく、羊だと思っていた。
自分は取るに足りない敗者のように感じていた。
その頃の気持ちを思い出すと、心が重くなる。
この曲は当時の記憶を少し呼び覚ます。
狼は食い尽くす存在であり、羊は食われる存在。
楽しそうに、幸せそうにしている人々を横目で見ながら、私の足が向かうのはいつも図
書館だった。勉強をするためではなく、押しつぶされそうな心を守るために。
家に帰ってもよかった。けれど、孤独の見えない世界に入れば、私がすることは決まっていた。ポルノを見て、一時的な快楽に現実を忘れることだった。何かに圧迫されている心を解放するためにポルノを見た。それは、私に慰めを与える薬のようだった。しかし、心は荒んでいくことを知っていた。
大学に行っても、何をするでもなく、ただ時間を過ごし、家に帰って、寝る。
私の逃げ場は図書館。もしくは、インターネットのポルノの中。そんな生活が長く続い
た。
ポルノの依存性は強かった。中学校の頃から見始めたポルノは、いつかは自然とやめれるときが来ると信じていたが、実際は依存は強まっていく一方だった。次第に脳は麻痺していき、普通のものじゃ満足出来なくなり、さらに刺激的なものを求めるようになっていった。人間関係がどうでもよくなっていった。勉強などどうでもよくなった。けど卒業単位はちゃんと取得したい。親を悲しませたくはない。結婚はしたい。しかし、それでも、今気持ちよくなれれば、何だっていいという心がすべてを凌駕し、私の人格や人生は崩壊へと進んでいった。
いつ、私はもとに戻れたのか・・・あまり覚えていない。今でも、強い葛藤を覚え、誘惑に負けてしまうことがある。敗北が続いて、自分のすべてが汚れていると感じ、生きる気力さえ失ってしまうことがある。ポルノが与えるのは偽りの慰めであり、私の心、人間関係、社会性すべてを奪い去っていくことを知った。
神は、私を憐れみ、暗闇から救い出してくださった。
本当の慰めが与えられた。ポルノはもう要らない。
神は、この期間を通して、私と出会ってくださった。