暗闇に光を。

サラリーマンを中心に、日本人について知るために、ブログを書いています。

幸福な奴隷

私のある友だちは、人生がうまくいっていない。

 

彼は、社会の違和感を敏感に感じ取り、生きづらさを覚えている。彼は、周りの人たちが、矛盾している人生に何の疑問もなく生きているように感じていた。そして、それに順応しなければ、この社会で生きていけないことにも気付いていた。

 

彼は、ワーキングホリデイで海外に行った。自分が変わることを求めて。しかし、彼は変わることが出来なかった。彼は苦しんだ。孤独で、毎日死にたがった。

 

彼は、毎日詩を書いた。その詩を読ませてもらったことがある。自分の表面的な心が見透かされていくようだった。彼と話しているとき、自分は嘘をつけなかった。すぐに見透かされてしまうから。私は、彼を通して、本当の自分を知る道に導かれるようになった。

 

 

 

以前、ブログで、「日本人は、集団で偽りを信じて、現実から逃げているのだと思う」と書いた。経営学の有名な本を書いたドラッカーは、それを「幸福な奴隷」と説明した。

 

完全な人間はいないゆえに、人は独裁者にはなれない。けれど、自己を放棄し、思考を停止し、責任転嫁をし、独裁者に従うとき、人は幸福感を感じることができる。けれど、事実は自己の自由を奪われた奴隷である。

 

しかし、人は責任ある自由人として生きるべきである。不完全さを認めつつも、しかし奴隷になるのではなく、神の前に最善を尽くしていかなければならない......これがドラッカーの主張である。

 

 

ところが、大多数の人は独裁者に従う。独裁者は独裁政権のみを指しているのではない。人間が造り出した文化そのものが現実に独裁者となっている。

 

ある人はこう言った。

『日本の文化において、人は「決断放棄による自己証明の追求」をしている。』

 

自己規定の仕方は文化によって異なる。人類にとって、人間の永遠の成功と繁栄が大きな神話であるならば、その一部となれるかどうかで、人の存在価値は規定される。日本にも、国家、仕事、世間体、様々な”神”が存在する。

 

その一部となるため、共同体と個人的成果が用いられる。

 

共同体への帰属。それは永遠に続く聖なる共同体のように考えられる。しかし、それは決して完全でもなく、永遠でもない仮想現実に過ぎない。

 

人生の成果。それは自己拡張装置のようである。グローバル経済と、個人市場主義と、ネット社会の発展によって、共同体に属さなくても、人類の成功と繁栄という大きな物語に貢献することができる多様性が生まれている。

 

しかし、共同体にうまく帰属できず、個人の能力と努力により成果を手にすることもできない場合、人は罪責観と劣等感に苛まれ、他の自己証明の手段を必要とする。そのときは、人は文化以外の、他の”宗教”を必要とする。

 

「宗教は弱い人がするものだ」と考える人も、自己を放棄し、思考を停止し、幸福な奴隷となっているだけかもしれない。

 

カルトの常套手段は、自己の放棄による、思考停止と責任転嫁である。人は教祖に簡単になり得る。

 

このように、日本の文化もカルトも、個人の意志の放棄を要求する。自分がなくなっていく。それは本当の幸せなのか。多くの人は、大人になるにつれ、自分が失われていくように思う。自分が消えていき、世間の色に染まっていくことが、大人になっていくかのような風潮がある。

 

教会も同じような文化構造を生きてしまうなら、他の民族宗教と何ら違いは見られない。それは、”キリスト教”を神話として、奉仕や礼拝のため懸命になるが、自己を失い、劣等感と罪責観の克服に躍起になっているだけの可能性もある。

 

 

 

私は、クリスチャンとして生きてきたつもりだった。しかし、私は”神”を自己実現と自己証明のために利用しているだけだと気付くようになった。

 

しかし、神はその偽りからも、私を救い出してくださった。

 

世が造り出す偽りの物語の中を、自分の存在証明のために生きるという、「幸福の奴隷」から解放され、神の物語の中を、神の栄光のために生きるという、「真理による自由人」として生きる人生へと導いてくださった。

 

 

それが、聖書の語る福音である。

 

キリストの十字架によって、私の罪は赦され、神の養子とされた。もはや罪責感の克服のために生きる必要はなくなった。

 

キリストの十字架によって、私は神の前に義と認められた。もはや劣等感の克服のために生きる必要はなくなった。

 

キリストの復活により、聖霊を与えられ、私は新しく生まれ変わった。汚れた良心はきよめられ、真理によって聖め別たれ、神のものとされた。

 

神の恵みによって、私は神を知った。

 

存在意義、永遠、すべては神にうちに保証されている。

 

I'm free!!! とある友は言った。私も、声を大にして、宣言する。

 

私は自由だ!

主に栄光がいつまでもありますように。

 

"Amazing Grace(驚くべき恵み)"

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