まだ見ていないもの
今の時のいろいろの苦しみは、将来私たちに啓示されようとしている栄光に比べれば、取るに足りないものと私は考えます。......私たちは、この望みによって救われているのです。目に見える望みは、望みではありません。だれでも目で見ていることを、どうしてさらに望むでしょう。もしまだ見ていないものを望んでいるのなら、私たちは、忍耐をもって熱心に待ちます。ローマ8章
主よ、私は何を望みとして生きているのでしょうか。
私の心を探ってください。
そして、虚しいものを追い求めることをやめさせてください。
主が私に下さった望みは、まだ目で見ていないものです。
それは、まだ来ていないのです。
だからこそ、私は忍耐を持って、熱心に待ち望めるのです。
主が将来現そうとされている栄光は、想像を遥かに超えて余りあるものです。
私たちと被造物はともに、うめきながら、産みの苦しみをしています。
しかし、私たちが贖われ、自由とされ、栄光の中に入れられるときが来ます。
それは、私たちの罪のためにほふられてくださった小羊、
主イエス・キリストによる和解のゆえです。
主よ、私の望みは目で見えているものではなく、まだ見ていないものであることを、
いつも思い出させていてください。
主を待ち望みます。
主の栄光を現して下さい。