暗闇に光を。

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エターニティ 結婚

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法学者ジョン・ウィッテ・ジュニアによると、

(以前の)「結婚の理想ー相互の愛、生殖、および保護のために造り上げられた永続的な契約的結合ーは、徐々に、配偶者それぞれの満足感のために造り上げられた『一時的なセックスの契約』という、新たな結婚の現実に道を譲っていった」のです。......それまでの文化は、割り当てられた社会的な役割に喜んで従い、忠実に果たすことによって、その義務に意味を見出すよう教えました。しかし啓蒙主義がそれを一変させました。人生の意味とは、自分にとって最も満足できるものを選べる、という個人の自由が実現してはじめて見出されるものだとされました。自己否定を通して、個人の自由をあきらめることを通して、夫婦や家族に対する義務を自分に課すことによって人生の意味を見出すかわりに、感情やセックスにおける自分の満足と自己実現を見出すものとして、結婚が再定義されたのです。

 

......自己実現のための結婚、という新しい概念によって、私たちは、結婚に過剰な期待をよせながらも、常に何か物足りないという立場に身を置くことになりました。......だからこそ多くの人が結婚を躊躇し、あるいは結婚直前まで行きながら、『でも百点とは言えない』相手だというだけで、あきらめてしまうのです。

 

......(しかし、問題なのは、)完璧な相性の『運命の人』を探すことはそもそも不可能なのだ、(という点です)。デューク大学倫理学教授のスタンレー。ハワーワスがこの点をまとめた文章は有名です。『結婚にとって破壊的なのは、自己実現の倫理だ。それは、結婚も家族も、主に自己実現のための制度であり、私たちが「完全」で幸福になるために必要だ、と想定する。そこでは、自分にはふさわしい結婚相手がいるはずで、目を皿のようにして探せば当然見つけられると思い込まれている。この道徳的思い込みは、結婚の決定的な一面を見落としている。私たちは間違った相手と結婚するものだ、という事実を十分理解していないのである。私たちは自分が誰と結婚するか、決して分からない。それなのに自分には分かると思っているだけなのだ。また、最初は正しい相手と結婚したと思っても、どのみち相手は変わるのだ。結婚したことだけでおも、私たちがそれ以前とはもう同じ人間ではない、ということなのだ。肝心なのは、自分が結婚した相手が、実はほとんど見知らぬ相手であって、今後どのように愛し、気遣っていくかを学んでいくことだ。』」

          (引用:『結婚の意味〜分かり合えない二人のために〜

               ティモシー・ケラー、キャシー・ケラー共著』)

 

 

 

映画エターニティには、19世紀末のフランスの上流階級に生きる女性の、三世代にわたるいのちの物語が綴られている。ここに見られる結婚観は、現代の西洋諸国のものとは異なる。実際、私はこの映画を見ながら、「こんな結婚ありえないでしょ」と思ってしまった。あまりにも美化されているように感じた。しかし、そのような反応をすることこそが、私の結婚観の悲惨さを表している。

 

監督は、「人生の永続性」と「夫婦間の愛」を結びつけて、その素晴らしさを映画を通して表現している。親同士が決めた相手と結婚をしたガブリエルは、最初不安であったが、夫のシャルルは、「まだ君を愛していないが、愛は学ぶものであり、君を愛し続けると約束する」と率直に語りかける場面がある。ここに真の男らしさを見る。

 

「男の愛は、神の愛よりも信頼できる」という台詞は、この時代の形骸化したカトリックの背景を物語っている。男との結婚か、神との結婚かという対比が描かれているようにも感じたが、それは神を抜きにした人生讃歌へと至る人間の罪を浮き彫りにしている。

 

神が男と女に人を形づくられ、結婚を創造し、そして秩序を定められた。それがあまりにも素晴らしいゆえに、罪が結婚にもたらした影があまりにも残酷である。

 

しかし、人が、神が定められた秩序から、ますます離れていく傾向にあるのはなぜだろうか。時代の波に流されずに、聖書の真理に堅く立ち、結婚と向き合いたい。