Facing a task unfinished ーまだ終わっていない1つの使命に向かってー

語り伝えよう 山を越え 谷越え。 伝え続けよう 主は救いのために来られた!

祭司の使命と回復

マラキ書1:11

日の昇るところから日の沈むところまで、わたしの名は国々の間で偉大であり、すべての場所で、わたしの名のためにきよいささげ物が捧げられ、香がたかれる。まことに、国々の間で偉大なのは、わたしの名。ー万軍の主は言われるー

 

3:1

見よ、わたしはわたしの使いを遣わす。彼は、わたしの前に道を備える。あなたがたが尋ね求めている主が、突然、その神殿に来る。あなたがたが望んでいる契約の使者が、見よ、彼が来る。ー万軍の主は言われる。

だれが、この方の来られる日に耐えられよう。だれが、この方の現れるときに立っていられよう。まことに、この方は、精錬する者の火、布をさらす者の灰汁のようだ。

この方は、銀を精錬する者、きよめる者として座に着き、レビの子らをきよめて、金や銀にするように、彼らを純粋にする。彼らは主にとって、義によるささげ物を献げる者となる。ユダとエルサレムのささげ者は、昔の日々のように、ずっと以前の年々のように主を喜ばせる。

 

3:16-18

そのとき、主を恐れる者たちが互いに語り合った。主は耳を傾けて、これを聞かれた。主を恐れ、主の御名を尊ぶ者たちのために、主の前で記憶の書が記された。

「彼らは、わたしのものとなるー万軍の主は言われるーわたしが事を行う日に、わたしの宝となる。人が自分に仕える子をあわれむように、わたしは彼らをあわれむ。

あなたがたは再び、正しい人と悪しき者、神に仕える者と仕えない者の違いを見るようになる。」

 

マタイの福音書3:11

「私(バプテスマのヨハネ)はあなたがたに、悔い改めのバプテスマを水で授けていますが、私の後に来られる方は私よりも力のある方です。私には、その肩の履物を脱がせて差し上げる資格もありません。その方は聖霊と火であなたがたにバプテスマを授けられます。」

 

 

神の御名が全地であがめられ、賛美されるようになる。それは、神の御名こそが偉大だからである。しかし、アダムも、イスラエルも神の栄光を現す使命に失敗してしまった。では、だれが、どうやって、その使命を果たすことができるのだろうか。

 

人間にはできない。しかし、神に不可能はない。神は一人の使いを遣わされる。その人は、神の前に道を備える。「見よ、彼が来る」と神が仰せられるその方は同時に、「神」ご自身であり、イスラエルが尋ね求める「主」であり、イスラエルが望んでいる「契約の使者」であられる。この方は、突然、神殿にやって来られ、金銀を精錬する日のように、また布をさらす灰汁のように、「レビの子ら」すなわち祭司たちをきよめて、純粋にする。彼らは「義」によるささげ物を献げ、主を喜ばせる。

 

この預言のことば信じて、神を恐れ、神の御名を尊ぶ者たちを、神は覚えられ、神が「事を行う日に」、あわれみ、ご自分のもの、ご自分の宝とされる。彼らは再び、神に仕える正しい者と、神に仕えない悪者の違いを「見る」ようになる。

 

まとめると、神様が「事を行われる日」がやって来る。「一人の使い」によって、まず道備えがなされる。「主」が神殿に来られ、レビ人たちをきよめる。神を恐れる民たちをあわれみ、ご自分の宝とされる。彼らは、神に喜ばれるささげ物を献げるようになり、神に仕える者とそうでない者の違いを再び見る。

 

この預言のとおりに、バプテスマのヨハネ(一人の使い)が現れた。そして、イエス・キリスト(神、主、契約の使者)が神殿に来られた。そして、バプテスマのヨハネはイエスについてこう預言した。「この方は聖霊と火であなたがたにバプテスマを授けられる」。ここで、「聖霊」と「火」が並列して書かれているが、これは聖霊=火と解釈することができる。実際、「使徒の働き」(新約聖書)では、ペンテコステの日における聖霊の到来が「炎のような分かれた舌が現れて、一人ひとりの上にとどまった」と表現されている。「火」は、火が金を精錬するのと同様に、人をあらゆる不義からきよめる。聖霊が、人をきよめて純粋にしてくださる。

 

イエス・キリストこそが、この新しい契約の使者として、聖霊によるバプテスマを授けてくださるお方であった。