Facing a task unfinished ーまだ終わっていない1つの使命に向かってー

語り伝えよう 山を越え 谷越え。 伝え続けよう 主は救いのために来られた!

永遠のいのちー霊的なよみがえりー

日本は、霊的に病んでいる社会だと言われる。それはつまり、日本社会を造り出してい

る日本人が霊的に病んでいるということだろう。

 

けれども、日本人だけが特別そうなのだろうか。神のみことばである聖書には、そうは

書かれていない。むしろ、「すべての人が」そうだと書かれている。しかも、「病んで

いる」というレベルではない。「すべての人」が、霊的に「死んでいる」と書かれてい

るのだ。

 

人通りの多い交差点の横断歩道で、不自然な動きをしている男性を見かけた。自転

車に乗っている女性を横目でじっと見ているのだと、すぐに分かった。歩行者信号が青

になった。その女性が自転車で走り出すと、彼は早歩きで彼女の後を追い始めた。自転

車の方が速かったため、彼女と彼の間は少しずつ離れていったが、ある程度の距離が開

くまで、彼は彼女の後を追い続けたのではないかと思う。おそらく彼は、ある特定の人

待ち伏せしていたのではなく、不特定多数の女性の後を追跡することを繰り返してい

た。彼の行為は、女性に危害を加えるものであり、許されるものではない。法律によっ

て罰せられるべき犯罪である。何よりも、神の目に不義であり、神がさばかれる行いで

ある。

 

なぜ、彼はこのようなことをしているのだろうか。それは、彼が「霊的に死んでいる」

からに他ならない。彼は、神を知らない。いのちを知らない。神に対する

恐れがない。正しさがない。性欲が彼を支配し、彼からすべてのものを奪おうとしてい

る。しかし、本人は自分が蝕まれていることに気づくことができない。哀れである。

 

けれども、彼だけが哀れなのではない。すべての人間が同じほどに哀れなのだ。

私自身も全く同じく哀れであって、あらゆる欲望に支配され、蝕まれていた。私も「霊

的な死」を身に帯びていた人間の一人だった。しかし、今の私は以前とは全く違う。私

は、福音によって新しく生まれたからだ。これは母親の胎内からもう一度生まれたとい

う意味ではなく、霊的ないのちを新しく得たということである。

 

私は神を知り、イエス・キリストを知った。すべての罪を赦され、神の御前に義とさ

れた。神の霊を与えられ、罪から解放され、聖潔に至る人生へと召された。あわれみ深

い神の大きな愛によって、私は救われた。それは、私のような罪人をさばくためではな

く、救うために来てくださったイエス・キリストの福音を宣べ伝えるためだと知った。

 

エス様だったら、あの男性に対して何かを語りかけたのだろうか。もちろん語りかけ

ただろう。なぜなら、全く同じ罪の中に死んでいた私に、イエス様は優しく語りかけて

下さったからだ。そうであるならば、私も同じようにするべきである。あの男性に対し

てだけではない。彼のように目立たなくても、すべての人が「霊的に死んでいる」のだ

から、すべての人に福音を伝えなければらない。

 

福音とは、神が私たちを愛し、私たちが永遠のいのちを得るために、神が御子を与えて

下さったということだ。神の御子イエス・キリストを信じる者は誰でも救われる。赦さ

れない罪はない。きよめられない罪はない。福音は全てを救うイエス・キリストの恵み

である。

 

 

今、霊的に死んでいる人たちの中で、私たちは霊的に生きている。それは、私たちが高

ぶって見下すためではなく、むしろへりくだり、感謝を持って神に仕え、この大いなる

福音を「すべての人に」告げ知らせていくためである。

 

「神は、実にそのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が一人として滅びることなく、永遠のいのちを持つためである」

                                                    ヨハネ福音書3章16節