Facing a task unfinished ーまだ終わっていない1つの使命に向かってー

語り伝えよう 山を越え 谷越え。 伝え続けよう 主は救いのために来られた!

教会と異邦人

主のもとに来なさい。ー主は人には捨てられたが、神には選ばれた、生ける、尊い石です。ーあなたがたも、生ける石として霊の家に築き上げられ、神に喜ばれる霊のいけにえを、イエス・キリストを通して献げる、聖なる祭司となります。

なぜなら、聖書にこう書いてあるからです。「見よ。わたしはシオンに、選ばれた、尊い要石を据える。この方に信頼する者は、決して失望させられることがない。」

                          ペテロの手紙第一 2章

 

 

イエス・キリストは十字架で処刑された。しかし、よみがえられた生ける石。

私たちも、キリストを信じることによって、新しく生まれた生ける石。

 

エス様もクリスチャンも「生ける石」。違うのは、イエス様は「要石」であること。

クリスチャンは、その要石の上に築き上げられた石の集合体。だから、イエス様がどれ

だけ頑丈かどうかに、クリスチャン達の命運はかかっている。イエス様が倒れてしまえ

ば、クリスチャン達も倒れる。しかし、イエス様が倒れなければ、クリスチャン達も倒

れない。

 

神様はこう約束された。「この方に信頼する者は、決して失望させられることがない」

と。イエス様はよみがえり、栄光をお受けになられた。つまり、イエス様はもう決して

死ぬことがない。加えて、イエス様の栄光を脅かす存在は何もない。噛み砕いて言うな

らば、イエス様は永遠不滅で無敵の主となられた、ということ。私たちも主のもとに来

るならば、イエス・キリストのご支配のうちにあって、永遠不滅で無敵な存在となる。

 

「霊の家に築き上げられ」とあるが、家とは誰かの住まう場所である。では、この家は

誰が住むのか?私たちは住人ではなく、それぞれが家を構成する石の一つである。この

家に住まう方は、神様だ。

 

神様は、この天地とその中にあるすべてのものを造られたお方であるため、この世のど

んなものも神様を納めることは出来ない。しかし、神様ご自身が、私たちのうちに住ま

うことを良しとされたのだ。神様がそうなさる目的は、私たち(教会)を通して、神様

ご自身の栄光を地の果てまで現すためである。

 

神の民である教会と、そうではない異邦人の決定的な違いは、神がともにおられる

か、そうでないかである。神がともにおられる私たちは、イエス・キリストを通し

て、いつでもどこでも神に近づき、神に喜んでいただくために、自分自身を神に献げ

る。この献身は、神のあわれみに対する、人間の相応しい応答である。

 

 

まとめると、教会は、

・キリスト・イエスにあって永遠不滅で無敵

・神がともにおられる

・神の憐れみに対する応答として、自分自身を神に献身して生きる者たちの集まり。