本当の朝
朝起きて、まず考えるのは、「ああ、今日も1日が始まってしまった。疲れた。めんどくさい。はあ・・・」。
朝起きた瞬間には、イエス・キリストのため、誰々さんのため、今日も生きるんだって思えない。
私には、利己心しかない。常に、自分のことだけ考えている。
だから、起床後の時間は私の1日を決定づける大切な瞬間となる。
神の恵みを求めて呻くか、それとも神に背いたままその日を始めるのか。
「神の大能の力の働きによって、私たち信じる者のうちに働く、神のすぐれた力がどのように偉大なものであるかを知ることができますように」エペソ人への手紙
神は、私の心を造りかえることができるただ一人のお方。
毎朝、試されているのは神への信仰だ。
「あなたがたが知っているとおり、信仰が試されると忍耐が生まれます。その忍耐を完全に働かせなさい。そうすれば、あなたがたは何一つ欠けたところのない、成熟した、完全な者となります。」ヤコブの手紙
忍耐とは、信仰にとどまり続けることだと思う。一瞬ではなくて、神を信じ続けること。忍耐が私たちをキリストの栄光の似姿へと成長させ、完全な者とする。
「完全」とは、罪が全くない人間のことではない。そのような人間は誰一人として存在しない。「完全」の意味は、たましいに戦いを挑んでくる欲望に対して、どんな時でも、信仰により、神の力において勝利を治めることではないだろうか。
しかし、私たちはやがて「罪のないからだ」によみがえらされ、あるいは造りかえられ、「罪の存在しない世界」を相続する特権がキリストにあって与えられていることを知っている。私たちが、この約束にあずかるために必要なのは忍耐である。
忍耐を、忍耐を、忍耐を。