本当に愚かなこと。
知った風な口を聞くな。
何も分かっていないくせに。
人のこと、勝手に決めんな。
人をカテゴライズすんじゃねえ。
てな感じで、人が私を決めつけてくることに対して、私はかなり反発してしまう。
相手が口に出して言ってはこなくても、相手の表情にその思いを読み取ってしまい、相
手に対して敵意を抱いてしまう。
人を知るとは何だろう?
相手について、私には知らないことがありすぎる。相手の全てを知るなんて出来るわけ
がない。それでも、相手を知ろうとして、限られた情報を組み合わせて、色々分析す
る。情報も、分析も、当然ながら不完全なため、誤解も生まれる。
てなわけで、相手が自分を誤解することは避けられないことだ。それなのにに、「私の
ことをわかっていないくせに」と言って、いちいち腹を立てるとは何と情けないことだ
ろう。しかも、私が腹をたてるときは、「誤解されている」と感じる時というよりもむ
しろ、「見下されている」、あるいは「過小評価されている」と感じる時だ。詰まると
ころ、私は、自分が認められないから、怒っているのだけなのだ。
では、神を知るとは何だろう?
人に対しても知らないことが山ほどあって、誤解もたくさん持ってしまうのであれば、
神様については、どれほど多くの誤解を持ってしまっているだろう。いや、誤解ではな
い。私たちは何と、神様を見下し、過小評価してしまっているのだ。
人間のどんぐりの背比べとはわけが違う。創造主であられる神様に比べたら、虫けらほ
どに小さな人間が、何よりも偉大な神を見下しているのだ。
「彼らは神を知っていながら、その神を神としてあがめず、感謝もせず、かえってその思いはむなしくなり、その無知な心は暗くなりました。彼らは、自分では知者であると言いながら、愚かな者となり、不滅の神の御栄えを、滅ぶべき人間や、鳥、獣、はうもののかたちに似た物と代えてしまいました。」ローマ人への手紙1:21-23
神の代わりに他のものを礼拝するということは、神の栄光を他のものと取り変えるこ
とである。神の栄光の価値が10000だとしたら、その他のものは0.00001である。いや、
数字では到底言い表せない。ただ言えることは、これは本当に「愚か」であるというこ
とだ。
しかし、本当は、すべての人が、不滅の神の栄光を知ることに飢えている。
「やみの中を歩んでいた民は、大きな光を見た。死の陰に住んでいた者たちの上に光が照った。」イザヤ9:2(旧約預言書)
神の栄光が見えない状態は、罪の中に死んでいることであり、これは「やみ」である。
しかし、ここに良い知らせ、福音が与えられた!
この神のみことばのとおりに、神は私たちの上に光を照らしてくださったのだ。
「すべての人を照らすまことの光が世に来ようとしていた。、、、この方は恵みとまことに満ちておられた。、、、いまだかつて神を見た者はいない。父のふところにおられるひとり子の神が、神を説き明かされたからである」ヨハネの福音書1章
これは、御子イエス・キリストのことである。御子が、人となられ、神を説きあかし、神の栄光を現してくださった。その究極は、十字架と復活である。恵みとまことがその中心だ。
ちっぽけな私は、自分を見下す相手を嫌う。しかし、神は、神に背き、神を見下し、神
を認めず、神に敵対していた私に「恵み」を与えてくださった。それは、神様のご自分
の約束と誓いに対する「まこと」であった。
神は、キリストの十字架により、私たちの全ての罪を赦し、神様ご自身との和解を与
え、御霊を与え、神を知る知識と神の御心を知る知識(すべての真理)を与え、神の栄
光をほめたたえる喜びを与えてくださった。しかも、私たちは、この御方を父と呼ベル
特権が与えられた。さらに、子であるゆえに、来たる日には、キリストと共によみがえ
らされ、共に栄光を受け継ぐ相続人とされた。
父なる神の栄光があり、ひとり子としての栄光があった。その父と御子の栄光が満ち溢
れる神の御国において、私たちは子としての重い栄光をいただくのだ。何という圧倒的
な恵みとまことだろう。私たちのような憎たらしい人間に、これほどの祝福を無償で与
えてくださるとは、神はなんて恵み深い方なのだろう。
「神は、みむねとみこころのままに、私たちをイエス・キリストによってご自分の子にしようと、愛を持ってあらかじめ定めておられました。それは、神がその愛する方にあって私たちに与えてくださった恵みの栄光が、ほめたたえられるためです。」
エペソ1:5-6
キリストにより私たちに与えてくださった恵みの栄光が、ほめたたえられますように!
もっと多くの人たちが、神様の栄光に歓喜しますように!
私たちがどれだけ神様を罵ってたとしても、神様の栄光が変わらないように、私がどれだけ罵られても、見下されても、神様が私に与えてくださる栄光は変わらない。
神様が与えてくださる永遠の誉れに比べれば、一時的な人からの賞賛は全く取るに足らない。