Facing a task unfinished ーまだ終わっていない1つの使命に向かってー

語り伝えよう 山を越え 谷越え。 伝え続けよう 主は救いのために来られた!

教理教育

教会が陥っている失敗とその解決策について、分かりやすくまとめてある記述に出会った。ここに一部を抜粋する。少し長めであるが、ぜひ読んでいただきたい。

 

1、失敗している点

「クリスチャンでない人たちの注目を引こうと、教会は世の人の関心を引くものを提供しようと一生懸命である。そうすることによって、教会は真理の柱であり土台である教会の本当の目的を見失ってしまったのである......教会に通う人たちは、人生の真の変化は考えの真の変化から生まれるということを理解せず、教理は実際的ではないと主張し、教理を強調する説教を批判するのである。......礼拝や教会プログラムの数が増える中で娯楽的な要素がキリスト教教理の実質的な教育にとって替わりつつある。......子どもたちに聖書を教えることを優先していても、聖書教理を教えることが優先されることはめったにない。子どもたちは、同じ聖書の物語を繰り返し聞く。それもほとんどの場合、どのような行動を取るべきかという道徳的レッスンとしてのお話である。......聖書の物語がこのような使われ方をすると、良い行動を取った人を祝福し、失敗した人をのろうおとぎ話の妖精のように、神さまは物語の周辺におられることになる。子どもたちは、神ご自身があらゆる聖書記述の主役であることを、めったに学べなくなってしまう。子どもたちは、読む一つ一つの話について、「この話は神様について何を私に教えているのだろうか」と問うことを学ばなくなるであろう。」子どもたちは、ご自身のために民をあがなうという神の全体目的に照らして聖書記述を読む方法を学ぶことはないだろう。子どもたちが学ぶことは、良い子になりなさい、そうすれば神様が祝福してくださいます、悪い子になったら、祝福してくださいません、ということだけになる。これは福音の間違った表し方というだけでなく、まったく福音とは言えないものである。なんという悲劇であろうか!」  

(『主を知り、主を喜ぶ(Training hearts, teaching minds) ~子どもから大人まで〜教理問答による日々のデボーション』、スター・ミード著 )

 

要約すると、真理の柱であり土台である教会が、教理を教えることを怠ってきた結果、真理に生き、真理を教え、真理を宣べ伝えるという教会の本当の目的を見失ってしまっているということである。

 

2、解決策

「歴史的キリスト教真理のバトンを次の世代に渡すことに関心を持っている私たちは、私たちの子どもたちに教理を忠実に伝えることの重要性に目覚めなければならない。私たちは、子どもたちがなんとかしてキリスト教の重要な教えを学んでもらいたいと願うのであれば、無計画で行き当たりばったりの聖書物語と暗唱聖句を当てにすることはできない。むしろ、私たちは教理に置いて入念かつ体系的な教育を提供しなければならない。子どもたちは、見たり聞いたりするすべてのことをふるいにかける網目となる判断基準を必要としている。子どもたちがまだ幼いうちに、これを提供しなければならない。教理教育は、子どもたちが十代になるまで待つべきではない。青年期は人生の重大な決断の時期だからである。そのような決断がなされる基礎としての神学的骨組み、聖書的世界観が、その時までに整えられていなければならない。」

(同上、スター・ミード著)

 

著者は、忠実な教理教育を子どもたちに与えるための道具として、この本を執筆された。その中身は、「ウェストミンスター小教理問答書現代英語版」の一問一答を、家族が6日日間共に分かち合うデボーションの読み物となっている。日毎のデボーションの内容は簡潔であり、読みやすい。一週間で一対の問いと答えを、その真理を味わいながら覚えることができる。

 

この著者は、アメリカ人の女性で、子どもたちに聖書を語り、教理を教える働きに長年従事しておられる方である。現在も、旦那様と共に教会の日曜学校で教えておられる。

 

 

 

私は、この本をルームメイトと読み始めることにした。これからに期待している。自分が味わって良かったものは、喜んで教会の人たちにも勧めることができる。