Facing a task unfinished ーまだ終わっていない1つの使命に向かってー

語り伝えよう 山を越え 谷越え。 伝え続けよう 主は救いのために来られた!

神の大いなるご計画と憐れみによって、キリストの名による罪の赦しを得させる悔い改めは、あらゆる国の人々に宣べ伝えられる!

 

ルカの福音書15:1-3、15:11-32、16:14、19:47-48、23:13-25、24:44-49

 

1さて、取税人たちや罪人たちが皆、話を聞こうとしてイエスの近くにやって来た。

2すると、パリサイ人たち、律法学者たちが、「この人は罪人たちを受け入れて、一緒に食事をしている」と文句を言った

3そこでイエスは、彼らにこのようなたとえを話された。......(いなくなった羊のたとえ、なくした銀貨のたとえ)......

 

11イエスはまた、こう話された。「ある人に二人の息子がいた。

12弟のほうが父に、『お父さん、財産のうち私がいただく分を下さい』と言った。それで、父は財産を二人に分けてやった。

13それから何日もしないうちに、弟息子は、すべてのものをまとめて遠い国に旅立った。そして、そこで放蕩して、財産を湯水のように使ってしまった。

14何もかも使い果たした後、その地方全体に激しい飢饉が起こり、彼は食べることにも困り始めた。

15それで、その地方に住むある人のところに身を寄せたところ、その人は彼を畑に送って、豚の世話をさせた。

16彼は、豚が食べているいなご豆で腹を満たしたいほどだったが、だれも彼に与えてはくれなかった。

17しかし、彼は我に返って言った。「父のふところには、パンのあり余っている雇い人が、なんと大勢いることか。それなのに、私はここで飢え死にしようとしている。

18立って、父のところに行こう。そしてこう言おう。『お父さん。私は天に対して罪を犯し、あなたの前に罪ある者です。

19もう、息子と呼ばれる資格はありません。雇い人の一人にしてください。』」

20こうして彼は立ち上がって、自分の父のもとへ向かった。ところが、まだ家までは遠かったのに、父親は彼を見つけて、かわいそうに思い、駆け寄って彼の首を抱き、口づけした。

21息子は父に言った。「お父さん。私は天に対して罪を犯し、あなたの前に罪ある者です。もう、息子と呼ばれる資格はありません。」

22ところが父親は、しもべたちに言った。「急いで一番良い衣を持って来て、この子に着せなさい。手に指輪をはめ、足に履き物をはかせなさい。

23そして肥えた子牛を引いて来て屠りなさい。食べて祝おう。

24この息子は、死んでいたのに生き返り、いなくなっていたのに見つかったのだから。」こうして彼らは祝宴を始めた。

 

25ところで、兄息子は畑にいたが、帰って来て家に近づくと、音楽や踊りの音が聞こえてきた。

26それで、しもべの一人を呼んで、これはいったい何事かと尋ねた。

27しもべは彼に言った。「あなたのご兄弟がお帰りになりました。無事な姿でお迎えしたので、お父様が、肥えた子牛を屠られたのです。」

28すると兄は怒って、家に入ろうともしなかった。それで、父が出て来て彼をなだめた。

29しかし、兄は父に答えた。「ご覧ください。長年の間、私はお父さんにお仕えし、あなたの戒めを破ったことは一度もありません。その私には、友だちと楽しむようにと、子やぎ一匹下さったこともありません。

30それなのに、遊女と一緒にお父さんの財産を食いつぶした息子が帰って来ると、そんな息子のために肥えた子牛を屠られるとは。

31父は彼に言った。「子よ、おまえはいつも私と一緒にいる。私のものは全部おまえのものだ。

32だが、おまえの弟は死んでいたのに生き返り、いなくなっていたのに見つかったのだから、喜び祝うのは当然ではないか。」

 

16:14

金銭を好むパリサイ人たちは、これらすべてを聞いて、エスをあざ笑っていた

 

19:47-48

エスは毎日、宮で教えておられた。祭司長たち、律法学者たち、そして民のおもだった者たちは、イエスを殺そうと狙っていたが、何をしたらよいのか分からなかった。人々が皆、イエスのことばに耳を傾けていたからである。

 

23:13-25

ピラトは、祭司長たちと議員たち、そして民衆を呼び集め、こう言った。「おまえたちはこの人を、民衆を惑わす者として私のところに連れて来た。私がおまえたちの前で取り調べたところ、おまえたちが訴えているような罪は何も見つからなかった。ヘロデも同様だった。私たちにこの人を送り返して来たのだから。見なさい。この人は死に値することを何もしていない。だから私は、むちで懲らしめたうえで釈放する。」しかし彼らは一斉に叫んだ。「その男を殺せ。バラバを釈放しろ。」バラバは、都に起こった暴動と人殺しのかどで、牢に入れられていた者であった。ピラトはイエスを釈放しようと思って、再び彼らに呼びかけた。しかし彼らは、「十字架だ。十字架につけろ」と叫び続けた。ピラトは彼らに三度目に言った。「この人がどんな悪いことをしたというのか。彼には、死に値する罪が何も見つからなかった。だから私は、むちで懲らしめたうえで釈放する。」けれども、彼らはイエスを十字架につけるように、しつこく大声で要求し続けた。そして、その声がいよいよ強くなっていった。それでピラトは、彼らの要求どおりにすることに決めた。すなわち、暴動と人殺しのかどで牢に入れられていた男を願いどおりに釈放し、他方イエスを彼らに引き渡して好きなようにさせた。

 

24:44-49

そしてイエスは言われた。「わたしがまだあなたがたと一緒にいた頃、あなたがたに話したことばはこうです。わたしについて、モーセの律法と預言者たちの書と詩篇とに書いてあることは、すべて成就しなければなりません。」それからイエスは、聖書を悟らせるために彼らの心を開いて、こう言われた。「次のように書いてあります。『キリストは苦しみを受け、三日目に死人の中からよみがえり、その名によって、罪の赦しを得させる悔い改めが、あらゆる国の人々に宣べ伝えられる。エルサレムから開始して、あなたがたは、これらのことの証人となります。見よ。わたしは、わたしの父が約束されたものをあなたがたに送ります。あなたがたは、いと高き所から力を着せられるまでは、都にとどまっていなさい。」

 

 

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放蕩息子のたとえ話で、兄は、父親が弟を赦すことを受け入れることができなかった。同様に、律法学者やパリサイ人たちは、イエスが取税人や罪人たちを受け入れて、食事までともにし、罪の赦しを宣べ伝えていることを受け入れることができなかった。

 

律法学者やパリサイ人たちは、イエスをあざ笑った。それはやがて怒りとなり、妬みとなり、憎悪となり、殺意となった。彼らは、イエスを捉え、訴え、叫び、十字架刑を勝ち取った。

 

ところが、イエス・キリストは三日目によみがえられた。そして、その名による罪の赦しを得させる悔い改めは、ユダヤ人の取税人や罪人にとどまらず、あらゆる国の人々に宣べ伝えられるようになった。

 

イエス・キリストは12弟子たちを証人としてお立てになり、聖霊によって天からの力を着せて、彼らを地の果てまでお遣わしになった。

 

今日、世界中に福音が宣べ伝えられている。キリストの名による罪の赦しを得させる悔い改めを通して、あらゆる国の人々が神の子どもとされ、天の御国を受け取っている。

 

たとえ、ご自分の民がみことばを受け入れず、イエス・キリストを信じなくとも、神はご自分の計画をすべて成し遂げられる。神は罪によって失われた、ご自分の民をすべて救われる。ハレルヤ!

 

黙示録7:1-10

「その後、私は四人の御使いたちを見た。彼らは地の四隅に立ち、地の四方の風をしっかりと押さえて、地にも海にもどんな木にも吹きつけないようにしていた。また私は、もう一人の御使いが、日の昇る方から、生ける神の印を持って上ってくるのを見た。彼は、地にも海にも害を加えることを許された四人の御使いたちに、大声で叫んだ。『私たちが神のしもべたちの額に印を押してしまうまで、地にも海にも木にも害を加えてはいけない。』

私は、印を押された者たちの数を耳にした。それは十四万四千人で、イスラエルの子らのあらゆる部族の者が印を押されていた。ユダ族から一万二千人が押され、ルベン族から一万二千人、ガド族から一万二千人、アシェル族から一万二千人、ナフタリ族から一万二千人、マナセ族から一万二千人、シメオン族から一万二千人、レビ族から一万二千人、イッサカル族から一万二千人、ゼブルン族から一万二千人、ヨセフ族から一万二千人、ベニヤミン族から一万二千人、印を押されていた。

その後、私は見た。すると見よ。すべての国民、部族、民族、言語から、だれも数え切れないほどの大勢の群衆が御座の前と子羊の前に立ち、白い衣を身にまとい、手になつめ椰子の枝を持っていた。彼らは大声で叫んだ。『救いは、御座に着いておられる私たちの神と、子羊にある。』御使いたちはみな、御座と長老たちと四つの生き物の周りに立っていたが、御座の前にひれ伏し、神を礼拝して言った。『アーメン。賛美と栄光と知恵と感謝と誉れと力と勢いが、私たちの神に世々限りなくあるように。アーメン。』」

 

 

神は、やがてもたらされる終わりの日の前に、ご自分のしもべをすべて救われる。こうして、神様に召されたすべてのユダヤ人も、すべての国民、部族、民族、言語から召された数え切れないほどの異邦人も、御使いたちも、御座の前と子羊の前で、御座に着いておられる神と子羊を礼拝するときがやがてもたらされる。

 

栄光は、私たちの神にとこしえまで。