教会の交わりが愛を育む
職場の人が、教会の近くに住んでいることがわかった。
教会の友達を紹介した。
その翌日も教会の友達と夕ご飯。
だけど、思い通りにならならことが多くて、イライラしてしまった。
「わたしはあなたがたに新しい戒めを与えます。互いに愛し合いなさい。わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合いなさい。互いの間に愛があるなら、それによって、あなたがたがわたしの弟子であることを、すべての人が認めるようになります。」ヨハネの福音書13:34-35
教会に愛がなければ、いや、私が兄弟を愛していなければ、私の伝道、奉仕、憐れみは意味がない。
あの方が教会に来て、目にするものはなんだろう。言葉と実際のギャップ。兄弟愛ではなく、この世で見える人間関係の延長線上。その方は福音の力、神の祝福をみて、神をほめたたえるだろうか。。。
愛は一人では育たない。
一人で祈っていても、一生懸命デボーションしても、一生懸命奉仕活動をしても。。。
愛は教会の交わりを通して育まれる。
神は、私が愛のないことを知りながら、それでも私を赦し、受け入れ、私を愛に満ち溢れた子どもとなるまで育んでくださる。
私が今この教会にいること、あの兄弟姉妹が与えられていること、昨晩の試み、それはすべて神様の恵み。私の益のため。主ご自身の栄光のため。
ハレルヤ。
目に見えるものではなく、目に見えないいつまでも残る大切なもののために生きること。知恵をください。惜しまずに、咎めることなしに、憐れみと恵みによって。
私を愛してくださった父よ。
「いつまでも残るのは信仰と希望と愛、これら3つです。その中で一番すぐれているのは愛です。」第一コリント13:13