Facing a task unfinished ーまだ終わっていない1つの使命に向かってー

語り伝えよう 山を越え 谷越え。 伝え続けよう 主は救いのために来られた!

Healer 心は変わらないと思ってた

いつかは変わると思って、テキトーで無気力な人生をずっと過ごして来た。

 

ネット開けば現実逃避の始まり。5時間、6時間なんてあっという間。でも頭は

フラフラ、目はしょぼしょぼ。ご飯食って、お風呂入って、寝て、起きて、学

校、帰宅、そしてまた現実逃避。

 

こんな生活をどれだけ過ごして来ただろう。勿論、心はますます廃れていって

いた。

 

人間関係が壊れたり、状況が悪化してようやく、自分の心の醜さに気が付い

た。言い逃れが出来なかった。

 

自分の人生の総決算をしているようだった。過ぎた時間と、出来上がった人間

関係を見て、もう取り返しがつかないと思った。自分への失望。親への罪悪

感。希望が目の前からさーっと消えていくのを感じた。

 

しかし、そのとき、罪を悟った。そして、神の愛とキリストの十字架の意味を

知った。不思議だった。誰かが、確かにはっきりと自分に語っているように感

じた。

 

心は変わることができる。キリストだけが私の心を変えることができる。

絶望の中に、決して消えることのない希望の灯火が輝いた。

 

その灯は今なお光を増して、私のからだを照らし続けている。

タンポポのように暖かくて、すべてを優しく包み込むような人にだってな

れる。

 

 

 

状況が私の言動を決めるのではない。心が私の言動を決める。

状況の変化は、私の心の内にあるものを明らかにするだけ。

 

言動と心が一致しない、表と裏の社会にあって、私たちは心を忘れてしまう。

しかし、どこにいても、誰といても、何をしているときであっても、中心にあ

るのはいつも私の心である。

 

心が変わらない限り、私自身は決して変わらない。

偽りの愛は、いつか脆く崩れ去ってしまう。

しかし、真実の愛は、罪を覆い、平和を作り出す。

 

イエス・キリストは、私が真実な愛を得るようにと、私を捉えてくださっ

た。高校3年生だったあの時から、キリストの御手は私の腕を掴んで離さない。

 

自分の罪を知ることは、嫌でたまらなかった。

しかし、今、自分の罪を知ることの喜びを知った。

なぜなら、それは、神が私の心を造りかえて下さる通過点だから。

 

愛し合う喜びに満たしてください。

イエス・キリストにならう者と変えてください。

 

主が、癒しの御手で、私を捉えてくださったことを感謝します。

いつも、心を主の御前に注ぎ出します。きよめてください。

 

www.youtube.com

 

信仰によって義と認められた私たちは、私たちの主イエス・キリストによって、神との平和を持っています。またキリストによって、いま私たちの立っているこの恵みに信仰によって導き入れられた私たちは、神の栄光を望んで大いに喜んでいます。

そればかりではなく、患難さえも喜んでいます。それは、患難が忍耐を生み出し、忍耐が練られた品性を生み出し、練られた品性が希望を生み出すと知っているからです。

この希望は失望に終わることがありません。なぜなら、私たちに与えられた聖霊によって、神の愛が私たちの心に注がれているからです。

                            ローマ人への手紙5章