障がいとは何だろうか
映画「はたらく」を見ました。ある自閉症の男性(しょうへいさん)が、映画の主役として「はたらく」姿を追ったドキュメンタリーでした。
監督さんの狙いは、しょうへいさんの姿を通して、”働く”とはどういうことなのかを考えてもらうことにあったように記憶しています。けれども、映画を見させていただいた側からすると、「しょうへいさん」というよりも、監督さんや共演者さんたち、いわゆる「しょうへいさんの周りの人」の姿に目が留まることが多かったです。
周りの人たちは健常者の方々で、彼らだけならばスムーズに進むであろう練習も、しょうへいさんとであれば、壁にぶつかっては、立ち止まり、もう一度壁にぶつかっては、立ち止まりの連続でした。
その度に、周りの人たちは試行錯誤を繰り返していました。作品中に、彼らの頭には何度も「?」が浮かんでいました。もうお手上げ、となってもおかしくないような場面でも、彼らは諦めることなく、しょうへいさんに真正面から向き合い続けていました。
私も、初めのうちは、思うように事が進んでいかない様子を見ているだけで、もどかしく感じたり、「周りの人たち」のやり方や考え方に同調できず、「え、それはどうなの」と思ったりしました。エンタメ映画を見ている時のドキドキ感や興奮とは真逆で、「非凡な日常をただ眺めている」ようなつまらなさと、「私が普段見ている日常のようにも進まない」じれったさや苛立ちを感じていました。
けれども、時間の経過とともに、彼らの表情が柔らかくなっていくのも見えました。そして、しょうへいさんとの壁(?や不満、苛立ちなど)が低くなっているようにも思えました。
障がいを乗り越えるのは簡単なことではないと思います。障がいを持っている本人も、その周りにいる人たちにとっても。でも、それは決して乗り越えられないものではなく、むしろ乗り越えていくべきものだと思います。でも、繰り返しですが、それは簡単なことではありません。時間や労力のかかることです。疑問や不満との戦いもあると思います。利益の追求が目的で、そのための「速さ、便利さ、効率の良さ」などに価値を置くならば、障がいを持つ人たちと「働く」ことは喜んでできないと思います。
しかし、愛が人間にとって最も価値のあるものならば、彼らと「働く」ことは、どれほどの愛の訓練をもたらし、私たちの人生を豊かなものとするでしょうか。
そもそも、「障がい者」と「健常者」の2種類の人間が存在するわけではありません。聖書によれば、すべての人間は、神のかたちに造られた尊い存在です。そして、神様の御心は、人が互いを自分自身のように愛し合うことです。
障がいを持っている方は可哀想な人ではありません。その方が障がいを持っているのは、その人を通して神様の栄光を現されるためです。
罪の世から私たちを救い出し、愛し合える者へと造り変えてくださる唯一のお方、神の御子、私たちの主イエス・キリストの父なる神がほめ称えられますように。
4月1日はイースターでした。イエス様が死者の中からよみがえられたことをお祝いする記念日です。この方を信じる人は誰でも罪を赦されて、新しいいのちに歩むようになります。これが、神様から私たちへの福音です。
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*私はプロテスタント教会に所属するクリスチャンです。聖書を通して、イエス様を私の主であり、救い主であると信じて従っている者です。そして、皆様にも福音を分かち合うことができたら、それに勝る喜びはありません。