Facing a task unfinished ーまだ終わっていない1つの使命に向かってー

語り伝えよう 山を越え 谷越え。 伝え続けよう 主は救いのために来られた!

僕らはきっと腹ぺこ状態

私はなんとまあひどい栄養失調に陥っているのか!

 

目の前のうどんを食べながら悟らされた。

 

肉体的な栄養失調のことではない。

 

たましいの栄養失調のことだ。

 

私たちの愛する主イエス・キリストは、食物を買って戻って来た弟子たちにこう言われた。「わたしには、あなたがたが知らない食べ物があります。・・・わたしの食べ物とは、わたしを遣わされた方のみこころを行い、そのわざを成し遂げることです。」

 

 

このときの弟子たちは、まだその食べ物を知らなかった。彼らは、「神のみこころ」をまだ悟っていなかったからだ。けれど、イエス様がご自分のすべての民の罪のために十字架にかかられ、3日目によみがえり、弟子たちの前に現れたとき、彼らはその意味を知った。さらに、イエス様が天に上げられた後、イエス様が約束されていた聖霊を弟子たちの上に注がれたとき、彼らは新しく霊的に生まれ、神の大いなるみわざを人々の前で語った。そうして、エルサレムから地の果てまで彼らは聖霊と共に遣わされていった。

 

彼らはイエス様と同じ食べ物を食べるようになった!

彼らの宣教によって全地に渡って築き上げられた教会を通して、およそ2000年後を生きる日本人の私にも福音が届けられ、イエス様を信じて、聖霊によって新しく生まれた。

私もイエス様と同じ食べ物を食べるようになった!

 

 

だからこそ、「神様のみこころを行う」という食べ物を全然食べていなければ、腹ぺこで何も身動きできなくなって当然なのだ。はあ、お腹すいた。神様は目の前にたくさんの食物をいつも用意してくれているのに、それを拒んで来たのだから仕方がない。それなのに、神様は私を見捨てず、立ち上がらせて、豊かな食物の宝へと導いてくださる。

 

たましいにとって、この食べ物は米のようだ!あったらいいな〜というデザートのようなものではない。絶対に生きていく上で欠かせない主食なのである。

 

それにしても、腹ペコでいるのが日常になっていたら、それが普通になってしまい、自分が栄養失調なのかどうかも分からないし、気にしなくなってしまうものだ。だとしたら、きっと僕だけではなく、多くのクリスチャンが実は腹ペコなのに気づいていないのかも。

 

 

 

だから、思い切って、みことば求めて、みことばに示されるままに、神様のみこころを大胆に行ってみよう!栄養に溢れているたましいがどれだけ健やかで元気なのか、一度経験したら、ずっとその状態でいたいと思うだろう!もう元の腹ぺこ状態では満足できないはずだ。

 

さあ、朽ちていく肉体の糧やからだのためではなく(神様は、私たちが御心を行うために、その全ての必要を必ず満たしてくださる。しかし、働かないでいいということではない。これは、人生の目的はもっと偉大なことのためにあるということである)、神様の御国とその義のために生きよう!全地にわたり、キリストの教会が築き上げれ(「教会」とは建物ではなく私たち自身)、神様の栄光があがめられるために!

 

 

 

「あなたがたは、『まだ四か月あって、それから刈り入れだ』と言ってはいませんか。しかし、あなたがたに言います。目を上げて畑を見なさい。色づいて、刈り入れるばかりになっています。すでに、刈る者は報酬を受け、永遠のいのちに至る実を集めています。それは蒔く者と刈る者がともに喜ぶためです。」

                         ヨハネ福音書4:35-36

 

 

エス様が来られる前のクリスチャンたちも、イエス様も、イエス様が来られた後のクリスチャンたちも、みなでともに神のわざを成し遂げる!私たちは一人で神のわざを行なっているんじゃない。私たちはすべてのクリスチャンとともに、イエス・キリストに従って、イエス・キリストの恵みと力と賜物によって、神のわざを行なっている。私たちは最後の役目が任せられている。それは、刈り取り、すなわち永遠のいのちに至る実を集めること。

 

エス様を信じるものはみな、永遠のいのちが与えられる。イエス様が救いを成し遂げてくださった。私たちは、このイエス様を宣べ伝え、人々をイエス様への信仰へと導くことが使命。ここに、キリストの喜びが私たちすべてのうちに満ち溢れる。

 

ああ、この喜びのために!

ああ、この喜びのために!

私たちは召されて、遣わされているのだ!