イエス様の味わわれた苦難と忍耐を思うなら、私たちは疲れ果ててしまうことはない。
イエス様の忍耐はいかなるものだったか。
イエス様は、血の汗を滴らせるほどの、悶え苦しまれた。
イエス様は、神の権威を用いて、自分を救おうと思えばいつでも救うことができた。
けれど、イエス様は屠り場に引いていかれる羊のように、口を開かず、十字架を自ら背負われた。
イエス様は十字架の上で息を引き取られるその瞬間まで、ひたすら忍耐された。
罪人たちの反抗を、最後まで耐え忍ばれた。
耐えて、耐えて、耐えて、耐えて、耐えて、耐えて、耐えられた。
神への信仰のゆえに。
苦しみの先にある、父なる神からの栄光という喜びのために。
その十字架の死のゆえに、私たちは罪を赦され、神の子どもとされるという恵みにあずかることができた。
信仰の創始者であり完成者であるイエスから目を離さないでいなさい。
あなたがたは、罪人たちの、このような反抗を耐え忍ばれた方のことを思いなさい。
あなたがたの心が元気を失い、疲れ果ててしまわないようにするためです。
イエス様の苦難と忍耐を見るとき、私たちは励ましを受ける。
イエス様が私たちのために受けてくださった苦難は、今私たちが受けているどんな苦難よりもひどかったから。
イエス様の忍耐は、私たちの忍耐よりも遥かに凄まじいものだったから。
それゆえ、イエス様は私たちの弱さをすべて知っていてくださる。そして、私たちを助けることがおできになる。
子羊なるキリスト・イエスに栄光がいつまでもあるように!