Facing a task unfinished ーまだ終わっていない1つの使命に向かってー

語り伝えよう 山を越え 谷越え。 伝え続けよう 主は救いのために来られた!

良い羊飼い

In true surrender

何に身をゆだねて生きるかによって、人生は変わっていくと思います。

 

良い羊飼いは、羊を豊かな草原や水のほとりに導いてくれます。悪い獣から守ってくれます。群れからはぐれてしまったなら、見つけ出すまで捜してくれます。そして、羊のためなら、いのちまで捨てます。

 

あなたが死の陰の谷を歩いているとき、あなたの羊飼いは、あなたのためにいのちを捨ててくれますか。それとも、あなたを置いて逃げるでしょうか。

 

 

 

"Good Shepherd Of My Soul"(私の魂の良い羊飼い)という賛美です。

 

 

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車椅子に座っておられる女性は、Joni Tadaさんといって、口でペンを持って絵を描かれる画家であり、また歌手や作家、活動家でもあられます。

 

私は、Joniさんと面識はありませんが、以前ルーマニアに行ったとき、彼女のことを知りました。

 

20数年前に、Joniさんは、共産政権により貧しくなり、障がい者たちに支援が行き届いていなかったルーマニアを訪れ、彼女が設立したJoni and Friendsという、オーダメイドの車椅子を障がい者に無償で届けたりする働きや、経験を話してくれたそうです。

 

それを聞いていた私の友人は、その後の人生を、障がい者たちのために捧げる決心をしました。

 

彼は、ルーマニアブルガリアモルドバなどの色々な村々へ行き、貧しい人たちに車椅子を届けています。

 

でも、ただ車椅子を届けるのではありません。人のたましいを生き返らせる、神の愛を届けているのです。障がいを持っている方々も、そのご家族も、皆が本当に必要としているのは、良い羊飼いと出会うことです。

 

 

 

歌詞

1

Good Shepherd of my soul

Come dwell within me 

Take all I am and mould

Your likeness in me.

Before the cross of Christ

This is my sacrifaice:

A life laid down

And ready to follow

 

2

The troubled find their peace

In true surrender.

The prisoners their release

From chains of anger.

In springs of living grace

I find a resting place

To rise refreshed,

Determined to follow.

 

3

I'll walk this narrow road

With Christ before me 

Where throns and  thstles grow

And cords ensnare me.

Thugh doubted and denied

He never leaves my side

But lifts my head

And calls me to follow.

 

4

And when my days are gone

My strength is failing

He'll carry me along

Through death's unveiling

Earth's struggles overcome

Heav'n's journey just begun

To search Christ's deapths

And ever to follow.

 

 

英語ですが、Joniさんのストーリーを聴くことができます。

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出会いの楽しさ

夜、家の周りを歩いていると、道の脇でしゃがんで何かを観察しているサラリーマンを見かけました。

 

直感的に、何をしているのかすぐに分かりました。

私の予想は的中しました。

 

彼は、蝉を助けていたのです。

土から出たばかりの蝉を、無事に木の幹まで上れるように小枝を使って補助をしていました。なぜ分かったのかというと、数日前、私も同じことをしていたからでした。

 

こういうわけで、彼に声をかけ、彼の蝉助けを傍らで応援させていただきました。

蚊に刺さされつつも、心を一つに蝉を見守りました。

 

蝉の与えてくれた出会いに感謝です。

 

 

 

その帰り、偶然友だちに出会いました。

彼女は道で迷子になってしまったところ、ある女性が声をかけてくれて、目的地まで送ってくれたそうです。その間、15分ほどの時間があったそうです。

 

 

 

出会いって楽しいなと思いました。

 

 

 

 

蝉(せみ)が蛹(さなぎ)からやっと出て来れたのに、左の羽根の先端が抜け殻にくっついて離れないため、上手く歩けない。

 

まっすぐ歩いて、自由に羽ばたくためには、古い殻をすべて捨て切らなくてはならない。

 

この蝉はもがいては止まり、もがいては止まりを繰り返し、やがて動かなくなってしまった。

 

私は助けを試みた。

殻を切り離すことはできた。けれど、いびつに歪んだ羽根を治すことはできなかった。

 

自由に飛び立つためには、古い殻を捨てるだけでなく、新しい羽根を手に入れることが必要だった。

 

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戻る場所もなく、進む未来も見えない者たちが、もがきぶつかり合いながら光を求めている。彼らは、頑張っていないんじゃない。もう、すでに十分過ぎるほど頑張っている。そして、心は傷ついている。

 

 

新しい羽根をください。

光で照らしてください。

自由を与えてください。

 

いのちに生かしてください。

 

 

 

飯館村 in 福島

2011年3月11日、東日本大震災に続く原発事故。

 

福島県飯館村は、美しい村でした。けれども、今は放射能に汚染された村として知られるようになってしまいました。

 

この映像には、避難5年目の村人たちの声が詰まっています。

 

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かつての飯館村の生活にはもう戻ることができません。汚染がなくなり、住めるようになるには、数百年の月日が必要です。

 

けれど、仮設や保証が国策によって打ち切られ、人々はまさに見捨てられてしまいました。

 

一気に、村、家族、伝統、農作物、家畜が奪われてしまいました。

 あの日常は二度と帰ることはなく、今までとは全く違った生活を歩み始めることを余儀なくされました。

 

 このように見捨てられ、人々から忘れ去られていく現実に、誰が耐えうることができるでしょうか。幸いな生活のすべてを奪われた怒りを、どこに吐き出せばよいのでしょうか。だれに、この辛さを打ち明けることができるのでしょうか。

 

 

 

原発事故は人災です。人間の高慢と貪欲がもたらした惨事です。

賠償と保証のみでなく、真摯な悔い改めによる赦しと和解が、心の回復に必要とされているように思います。

 

ちなみに、「福島の復興は終わった」とメディアは伝えるかもしれないが、実際は「福島の復興は終わらない」と思います。村全体が目に見えない放射能に覆われているように、村人たちの心も目に見えない傷や苦しみに覆われていて、それらが消え去ることはありません。

 

 

 

 

心の整理

心の整理に終わりはあるのだろうか、と思いました。

 

見たくないものは引き出しの奥底に閉まって、表面的には綺麗に片付いたようにしている人が多いのではないかと思います。福島に限らず、多くの日本人が心の奥に矛盾を抱えて生きていると感じています。

 

「あなたの人生は間違っている」なんて、言える資格を持った正しい人間なんているのでしょうか。

 けれど、「あなたの人生は正しい」と言える人もいないと思います。

 

 

それでも、弱い私は、自分の人生を誰かに肯定してもらわなければ生きられない。

 

自分で人生を肯定できなければ、前を向けない。

 

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恵みがあれば

人は、しばしば過去の罪や苦しみを引きずり、自分は人から愛されるに値しない人間だと感じてしまいます。

 

また、物事がうまくいかないとき、私たちが直面している状況や問題に縛られてしまい、檻の中に閉じ込められているように感じてしまいます。

 

そして、過去への喪失感や、終わりの見えない現状に対して、もはや将来に希望があるとは思えなくなってしまいます。

 

ある人がこう言いました。

人類は何層にも張り巡らされた蜘蛛の巣のようだ。どこか一部に触れるだけで、全体が震えてしまう。

 

彼の言いたかったことは、人間の生活は互いに影響し合っている、ということです。

 

日本では世間体ということばがあります。「空気を読む」や、「出る杭は打たれる」ということばもあります。

 

このように、日本には、日本人とはこうあるものだ、というプレッシャーが強いと思います。

そして、それに反するならば、非国民だとされ、排斥されてしまいます。

 

 

 

私たちは、過去を引きずり、現状に縛られ、将来を憂いつつ、世間体を気にしながら生きています。

 

 

 

魂は自由を求めて、嘆いています。

だれがその声を聞き上げてくれるのでしょうか。

 

 

すべてを知りながらも、受けれてくれる恵みは、私から恐れを締め出します。

 

 

 

カエルのお城

夏になり、蝉の鳴き声が響き渡る。

 

田んぼの用水路には、グッピーのような小さい魚たちが群れをなして泳いでいる。

 

赤いザリガニがハサミをぼくに向けてくる。

 

ぼくが一歩近づく度に、数十匹の大小様々な大きさのカエルが一斉に飛び跳ねる。

 

みんなから遅れをとって、まだオタマジャクシのままなのもいる。

 

小さな魚を食べているのか分からないけれど、3羽のサギがいつも田んぼに立っている。まだ遠いのに、ぼくを見つけると一気に飛び立って遠くへ離れていく。何だか少し寂しくもなる。

 

けれど、サギがいたところには、やっぱり他の生き物たちがわんさか集まっている。

 

カメもすぐに水の深みへと逃げていく。地上ではのろまでも、水の中では結構素早い。

 

だから、地上でぼくに見つけられたとき、もう逃げられないと観念したような顔つきに変わる気がする。

 

ぼくは、存分に亀の逃避行を眺めて楽しむ。

 

広い田んぼには、沢山の用水路があって、みんながみんな自分の好きな場所を見つけて暮らしているのだと思っていた。

 

けれど、今日、ぼくは居城を見つけてしまった。

 

ここら一帯の田んぼを治めている領主とその家臣たちが集まっている場所に偶然出くわしてしまった。

 

ぼくは一瞬目を疑った。

 

ぼくが近づくと、何か大きなものが複数、水の深みに飛び込んでいくのが見えた。

 

音は、ぼちゃんっ、ではなく、ぼちゃん、だった。

 

複数だから、ぼちゃぼぼちゃ、ぼぼちゃ、という感じだった。

 

それらの招待を確かめたくて、15分時間をおいてから、今度はそーっと近づいてみた。

 

すると、いた。

 

大きめの亀、その亀の上に乗っている小さめの亀、その隣に別の亀、

 

そして、全長10cmほどの巨大カエル。

 

まず、家臣である亀たちが領主を置いて逃げた。小さな亀を背負いながら、水にダイブしていった。

 

根性のない家臣を持つ領主も可哀想だ。

 

残された領主である巨大カエルは、ぼくをぎろりとしばらく見つめた後、大きくジャンプして、ドボンっと水に飛び込んだ。

 

時間がとまったような感覚だった。

 

さすがは領主。この田んぼの覇者。大物の香りを醸し出している。

 

静かな興奮を覚えながら、ぼくはその場を後にした。

 

そして、夕方になってから居城を尋ねると、皆帰ってきていた。

 

けれど、ぼくを見つけると、また逃げた。

 

一気に緊張がほとばしる。彼らの防衛本能は凄まじい。

 

けれど、ぼくは見逃さなかった。

 

そこに、もう一匹新しい巨大カエルがいたのを。

 

彼には、奥さんがいたんだ。

 

でも、彼は奥さんをおいて一足先に逃げていたような......

 

 

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自分より他者を愛することは、思うほど簡単じゃないと思う。

人は臆病だし、有言不実行だし、自己中心だ。

 

勇気があって、有言実行で、他者中心に生きてますって言える人もいるかもしれない。けれど、想像を越えた事態に直面したとき、無力さを痛感する。

 

「逃げろ、逃げろ」。心がひとりでに叫び出す。

 

ぼくは、不名誉、恥、蔑み、憎悪、嫌悪、拒否、そして死を経験したくない。

強がって吠えるけど、本当は恐くて足が震えているチワワのようだ。

 

安全な場所など、この世界にはどこにもない。外から、内から、突如として襲ってくる。守ってくれるものはない。いざとなったら、ぼくを見捨てて逃げていく。

 

「あなたを見捨てない」なんて軽々しく言えない。

  あなたのために、いのちを捨てる覚悟があったとしても、実際の場面で、そのとおりに動けるかは別の問題だろう。

 

本当にいのちを捨てて初めて、愛は真実だと言える。